イスラム教とは
「イスラム」という言葉はアラビア語で平安や着得を意味する。教徒として生きるという事は、神に誠心誠意従うよう努める事、それによって現世はもちろん来世においても平安を得ることができるという事。
イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教と同じ「アブラハム」の宗教と言われる三つの宗教の一つ。
そして唯一神と神から預言者へ下された教えを信じることを基本とした宗教。
真実の最後の到達点であり、達成と言われている。
またイスラム教においてはどの人間も罪のない状態で生まれてくるとされている。つまり生まれながらの罪は存在しないという事。
しかしこの俗世は悪の誘惑が無数に存在する。そこで肉体精神ひいては魂を俗世から解き放つ行為が礼拝。一日五回祈ることによって心に平安、肉体には健全な意識を宿すことができる。
集団礼拝の際、教徒同士の肩と肩を並べて列に立つことは、信仰者が平等であることを象徴している。
教義
六信
信じるべき対象は以下の通り。神(アッラー)
唯一の創造主、全人類宇宙の生命を維持し慈しむ。アッラーと呼ぶのはそれが複数形、女性刑、愛称等偶像を連想させるものを持たない為。
天使(神の補佐)
アッラーが創造した、性別がなく罪を犯すことのない存在。
啓典(神からの啓示)
現代科学をもってしても矛盾がない奇跡。
使途(預言者達)
全ての預言者は私たち同様人間であるが、彼らは一切の罪を犯さない選ばれた人間。
来世(終末あるいはイスラム教において天国)
永遠の存在は神のみ。私たち人間はもちろんこの世界でさえ終わりが存在する=最後の審判。
定命(神によって定められている運命)
誰にいつ何がどう起きるかは神によって定められ、そして神によって遂行される。故にアッラーは全知全能であり偏在している事を意味する。
五行
行うべき事は以下の通り。信仰告白(イスラム教徒であると口にする事)
人生の唯一の目的は神に仕え従うことであり、最後の審判の日まで全人類を導く為に遣わされた使途の行いに従う事で、その目的が達成されるという信仰を表す。
礼拝(日に五回行う神に捧ぐお祈り)
神への信仰を強くし、活気づけ、より高い道徳性へ導く。同時に精神を浄化し、悪の誘惑から守る。
喜捨(弱者救済)
ザカートと呼ばれる仕組み。経済的に豊かな人は祈るという精神的行為だけではなく、毎年財産の2.5パーセントを支払うという物質的な義務が、個人の財産の浄化として課せられる。そのお金は貧しい人=弱者へ届けられる。
断食(神を身近に感じるための行為)
日の出ている間は、飲み食いや夫婦間の性交渉を控え、様々な欲望を避けようとする。そのことによって愛、誠実、献身を学び更には健全な社会良心、忍耐、寛大、意思の力等を成長させる。
巡礼(メッカへ赴く事)
上四つとは異なり、経済的あるいは肉体的に余裕がない人であれば行う必要はない。世界各地で行われる礼拝はこのメッカのある方角へ向けられている。
偶像崇拝の禁止
神は意思のみの存在。過去現在未来すべての時間、すべての場所。それらのどこにでもいるし、どこにもいない。
偶像を作ってしまえば神が「そこ」にいる事になり、神の存在を否定する事と同義となってしまう。
用語
アラベスク
反復する幾何学模様。可視的な物質世界を超えて広がる無限のパターンを意味する。
言い換えれば「唯一神=アッラー」。
ちなみにムハンマドは預言者=使途。
カリグラフィー
言葉を可視化した芸術的表現、つまり文字。「コーラン」は言葉で伝えられるべき最重要なもの。
コーラン
イスラム教の「聖典」。啓典に内包される。
聖典
教典と同義。神や聖人から与えられた啓示。
今までに訪れたモスク
マレーシア
・クアラルンプールのブルーモスク15年8月11日公開「行く前に知りたかった青のモスクとイスラム教」
・・
・コタキナバルの市立モスク
ブルネイ
・・・バンダルスリブガワンのニューモスク
・・
・バンダルスリブガワンのオールドモスク
インドネシア
・・・ジャカルタのイスティクラル・モスク
トルコ
・・・イスタンブールのスルタンアフメト・モスク
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