古都アユタヤの世界遺産遺跡を歴史順に追う
ブン・プラ・ラーム池で憩う二人 |
1324年 ワット・パナンチューン(Wat Phananchoeng)
アユタヤが首都となる26年前に建てられた。ビルマ軍の徹底した破壊活動から残った奇跡を、縁起が良いとして今でも参拝客の絶えない寺院。
堂内は赤が鮮やかな中国風の装飾。
高さ19mもある黄金仏陀の足元には、祈りを捧げる為様々な人が列をなしていた。
1357年 ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mang Khon)
別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」という。アユタヤ王朝の初代王、ウートンが修行僧の瞑想の為に建てた寺院。
階段を上り奥に行くとこんなスペースがある。
お金を払い金箔を買い、仏像に貼り付けていくのだ。
ちなみに手前に見える扇風機ガンガン回っていても、人口密度の高さからかとても暑かった。
上から見る景色。
壊れた仏塔にも仏像にも黄色い綺麗な布が巻かれている。
タイ王国において黄色は月曜日の色。
現国王が月曜日生まれだから黄色い布がかけられている。
珍しく完全な形を保った像。
先ほどの「ワット・パナンチューン」と同じで奇跡的に免れた。
昔は正確な地図もGPSもないから、自分たちの目だけが頼り。
誰か一人でも見つけてしまえばきっと今の形は残っていない。
ここにも涅槃仏。
その奥に見える高い仏塔は「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」とは別に、1592年に一度ビルマを退けた時の記念に建てたものと言われている。
お金を払い金箔を買い、仏像に貼り付けていくのだ。
ちなみに手前に見える扇風機ガンガン回っていても、人口密度の高さからかとても暑かった。
壊れた仏塔にも仏像にも黄色い綺麗な布が巻かれている。
タイ王国において黄色は月曜日の色。
現国王が月曜日生まれだから黄色い布がかけられている。
先ほどの「ワット・パナンチューン」と同じで奇跡的に免れた。
昔は正確な地図もGPSもないから、自分たちの目だけが頼り。
誰か一人でも見つけてしまえばきっと今の形は残っていない。
その奥に見える高い仏塔は「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」とは別に、1592年に一度ビルマを退けた時の記念に建てたものと言われている。
仏塔の周りにある池は「ブン・プラ・ラーム池」と呼ばれている。
側では、走る人散歩する人、体操をする人など、それぞれ自由に体を動かしていた。
私も、久しぶりに静かな場所に来たなと実感した。
時間がゆっくりながれている所に来ると、ただの散歩でさえ楽しくなる。
それが世界遺産の中となればなおさらだ。
側では、走る人散歩する人、体操をする人など、それぞれ自由に体を動かしていた。
私も、久しぶりに静かな場所に来たなと実感した。
時間がゆっくりながれている所に来ると、ただの散歩でさえ楽しくなる。
それが世界遺産の中となればなおさらだ。
1424年 ワット・ラチャブラナ(Wat Rajaburana)
8代目の王サームプラヤーが王位継承争いで死んだ二人の兄たちのために建立した寺院。いわゆる漁夫の利っていっても差支えないのかな。
サームプラヤーは後に、現カンボジアのアンコール・トムを攻略しクメール官吏を捕虜として連れ帰った。
その事によりアユタヤ王朝には「バラモン教」の文化が入り込み「政治制度」「思想」「宮内儀式」等が大きく変化した。
それについては後日調べてから投稿する。
死んだ二人の兄の為に建てたからか、新しい文化の発信地だったからか、
1958年の修復作業の際には多くの宝物類が見つかった。
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