古都アユタヤの遺跡観光・前編

2015/08/20

アジア アユタヤ タイ

t f B! P L

古都アユタヤの世界遺産遺跡を歴史順に追う

ブン・プラ・ラーム池で憩う二人


1324年 ワット・パナンチューン(Wat Phananchoeng)

アユタヤが首都となる26年前に建てられた。
ビルマ軍の徹底した破壊活動から残った奇跡を、縁起が良いとして今でも参拝客の絶えない寺院。


堂内は赤が鮮やかな中国風の装飾。


高さ19mもある黄金仏陀の足元には、祈りを捧げる為様々な人が列をなしていた。


1357年 ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mang Khon)

別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」という。
アユタヤ王朝の初代王、ウートンが修行僧の瞑想の為に建てた寺院。


階段を上り奥に行くとこんなスペースがある。
お金を払い金箔を買い、仏像に貼り付けていくのだ。
ちなみに手前に見える扇風機ガンガン回っていても、人口密度の高さからかとても暑かった。


上から見る景色。
壊れた仏塔にも仏像にも黄色い綺麗な布が巻かれている。

タイ王国において黄色は月曜日の色。
現国王が月曜日生まれだから黄色い布がかけられている。


珍しく完全な形を保った像。
先ほどの「ワット・パナンチューン」と同じで奇跡的に免れた。

昔は正確な地図もGPSもないから、自分たちの目だけが頼り。
誰か一人でも見つけてしまえばきっと今の形は残っていない。


ここにも涅槃仏。
その奥に見える高い仏塔は「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」とは別に、1592年に一度ビルマを退けた時の記念に建てたものと言われている。


1369年 ワット・プラ・ラーム(Wat Phra Ram)

「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」を建てたウートーン王の息子、ラメスワン王によって建立。そんな関係もあってか、ウートーン王の葬儀はここで営まれたと言われている。

仏塔の周りにある池は「ブン・プラ・ラーム池」と呼ばれている。
側では、走る人散歩する人、体操をする人など、それぞれ自由に体を動かしていた。

私も、久しぶりに静かな場所に来たなと実感した。
時間がゆっくりながれている所に来ると、ただの散歩でさえ楽しくなる。
それが世界遺産の中となればなおさらだ。


1424年 ワット・ラチャブラナ(Wat Rajaburana)

8代目の王サームプラヤーが王位継承争いで死んだ二人の兄たちのために建立した寺院。
いわゆる漁夫の利っていっても差支えないのかな。


サームプラヤーは後に、現カンボジアのアンコール・トムを攻略しクメール官吏を捕虜として連れ帰った。
その事によりアユタヤ王朝には「バラモン教」の文化が入り込み「政治制度」「思想」「宮内儀式」等が大きく変化した。

それについては後日調べてから投稿する。


死んだ二人の兄の為に建てたからか、新しい文化の発信地だったからか、
1958年の修復作業の際には多くの宝物類が見つかった。


About me

ブログ アーカイブ

Comments system

Popular

QooQ