ラオスの山奥に住む少数民族の村は純粋でのどかな場所、後編

2015/12/29

アジア ラオス ルアンパバーン

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前編記事:ラオスの山奥に住む少数民族の村は純粋でのどかな場所、前編

モン族とカム族、観光地化されていない本来の生活が根付く村でホームステイ経験

夕方、畑仕事から戻る村の人達

生活の音で目が覚める

ご飯を作ってもらっている最中
動物たちの鳴き声、水が跳ねる音、きゃっきゃした声。
起きると川から水を引っ張り使う水場で、女性たちが洗濯をしていた。
何人もの女性がタライを持ってきて、手でごしごしと洗っている。

衣類のみならず、自らの身体も同じ水場で綺麗にしていた。
男性はパンツ一枚になり、女性は身体にタオルを巻きつけて。
子供たちはすっぽんぽん。

料理に使う水もこの水場=川の水だし、命を繋ぐ大切な川なのだろう。
川を神聖視する考えはこういった所からきているのだと感じながら、俺もその川の水を使わせてもらった。

皆にならいパンツ一枚で頭から水を被る。
冷たくとても気持ちが良かった。

朝ご飯を頂きルアンパバーンへ戻る

塩茹でされており癖になる

ここでは紫色のトウモロコシが沢山採れるそうで、何本も頂いた。
味は黄色のそれと大差ないが、食感がややねっとりとしている。

昨日の子供たちとも大分打ち解け、向こうから手を振ってくれるようになっていた。
とても可愛い子達だ。別れが名残惜しい。

帰りは、行きとは別の道を使った。
途中にカム族の村に立ち寄ったりしながら、あっという間のルアンパバーン。

語彙に制限のある私とも積極的に話しかけてくれた同行の三人ともお別れ。
みんな別々の場所へ旅立った。


考える事

虹に向かって走る村の子供達
戻ると車やバイクが道を走っており、夜になれば煌々と明かりが灯って、文明を実感する。
彼らがこっちへ移住しない理由は何なのだろうか。

農業で生計を立てているので、したくてもできない。
自然が好きだから。
きっと彼らのみが知る理由があるのかな。

ラオスには何もないから、その何もないを楽しむ場所だと聞いていた。
事実、ゆっくりと流れる時間に身を任せるのはとても気持ちが良かった。

村の出入り口
しかし一つ勘違いをしていた。
「何もない」を言葉通り受け取っていたのだ。
この「何もない」は観光客としての「何もない」であり、彼らは非常に多くの物を持っていた。
自然や文化、そして私らが利便性を得ると引き換えに手放した生活。

アジアだと、行く先々で日本がいかに生活しやすいかを実感する。
大体の山奥でも電気や水道が通っているし、流通や医療機関も発達している。

そんな中、今まで生きてきたけど、
それらがない一泊を終えて、不便だ嫌だという気持ちは一切抱かなかった。
またいつか、もしかしたら仕事で疲れ果てた時、このような場所を訪れたい。


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