十ヶ月弱の海外旅行から帰国

2016/01/14

帰国

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海外旅行を振り返って

海外最後の朝日
ブログ内ではまだラオスだが、2016年1月12日に帰国。
文章に起こさない限り気持ちを切り替えることが出来ないと判断し、帰国後の所感としてひとまず作成。
次の記事からは、またラオスの続きを予定。


動機


初めて海外に興味を持ったのは大学構内に張り出されていたシアトルへのホームステイ。
その張り紙がなぜか心を掴んで離さなかった。

そして親の援助を受け、振り返ればあっという間のホームステイは私の新しい夢を作った。
いつか再び海外を訪れ、様々な文化や様々な国の人と触れ合いたいという夢を。
更に数年後。テレビで見たドブロブニクが心に残り、夢を夢のままで終わらせてはいけないと考え始めた。

だから仕事も海外に行ける可能性があり、仮に行けなくても三年で十分なお金が貯まりそうなものを選んだ。
それがブログタイトルでもある「ねいびー」つまり海上自衛隊だ。
(注:国内においての正式名称はjapan maritime self-defense forceであり決してnavyではない)


私にとって海上自衛隊はとても魅力的な職場だった。
一般の人が上陸できない硫黄島や南極に、俸給(給料)をもらいながら行けるのだから。

けれども配属された艦は、幸か不幸か日本列島の防衛を主な任務としていた。
それらの場所など決して行くことのない艦。

続けるか辞めるか悩んでいた矢先、ハワイに入港する事が知らされた。
ハワイと言えば日本人に人気の場所の一つ。
誰でも簡単に行ける場所だがここを区切りと捉え出港前に、年度末までに辞めたいという旨を班長及び関係の長に伝えた。

教育指導してくれたことに対する感謝と罪悪感、そしてまだ見ぬ世界に対する興味が胸の中で混ざり合っていた。


目的と目標


私には行動の核となるような目的がなかった。
興味を持ったものに触れる事、楽しく過ごす事。これしか考えていなかったのだ。
それは最後まで変わらなかった。だけどそんな毎日はとても刺激的で楽しく幸せだった。

「だった」という過去形がとてつもなく切ない。
一日や一週間で過ぎた時間ではなく、十ヶ月の時間がまとめて過去になってしまったのだから。

「夢のような時間」で終わらせたくない。
だけど終わらせない為の方法が見つからない事がとても悔しい。

だから今はどんな細い糸でも、それが過去と未来を繋げる可能性を含むものなら手放す事はしない。
そして複数の糸が纏まり丈夫な綱となった時、過去を夢から現実に引き戻す事が出来ると信じて。


序盤(出国からカンボジアまで)


一人旅というスタイルそのものに憧れながら、最初の国シンガポールからタイまでの二週間は友達と一緒だった。
タイでは見慣れぬ言語が街中を飾り、私達以外の皆はそれを自由に操っている。
唯一の会話相手だった彼と別れた時、世界で自分だけが一人ぼっちのような錯覚に襲われた。

そんなでも笑う事だけは忘れないでいようと踏ん張っていた所に、カンボジアで最後の一撃を貰い崩れてしまった。
そこからは会う人会う人全員が敵に見えた。向けられる笑顔や言葉の裏を勘ぐったり、彼らの一挙手一投足に怯えた。

日本に帰りたかった。
小さい頃から慣れ親しんだ言語に囲まれながら、安全な場所でゆっくりしたい。

けれども仕事を辞めたのにも関わらず一ヶ月足らずで帰国なんて情けなさ過ぎる。
半ば意地で次の国、ベトナムへ進んだ。

そして世界が変わる。


中盤(ベトナムからモンゴルまで)


私の世界を変えたのはプノンペンのバスターミナルで会った女性だった。
会う直前まで私は周囲に対し相変わらず警戒心をむき出しにしていた。

シェムリアップからホーチミンまで直通で行けると聞いていたバスが乗り継ぎ、しかも4時間待たねばならなかったからだ。
世界中の何もかもが信用できない。
荷物を守るように抱きかかえながら座る私の前に朝日を反射させながら一台のバスが到着した。

人が次々に降りてくる。大多数はとそのままトゥクトゥクに乗りプノンペン市内へ消えていった。
残りはチケットオフィスで乗り継ぎの手続き。
そしてその女性は、真っ先にタバコを吸っていた。
寝起きであろう渋い顔で。

ターミナル周りの人が捌けた頃、身体の前後にバックを背負い私もタバコを吸いに行った。
肺を煙で満たしていると先ほどの女性から、日本の方ですよね、と声をかけられる。
そして答えるや否や、彼女は矢継ぎ早に言葉を発した。

「大きな荷物背負ってないで置いたら良いのに」
「私達の荷物そこにあるから、側置きなよ」
「お腹減った、何か食べよ」

それらの言葉一つ一つが、どんどん心をほぐしていくのがわかった。
そして食べものを買ってくると言った彼女は、小走りで屋台へ向かっていった。
とても楽しそうに。一点の曇りもない明るい笑顔を浮かべながら。
屋台のおっちゃんとも大きなボディーランゲージを交えつつ朗らかに会話する。
英語と日本語で。

もちろん向こうは日本語を理解していない。
けれど傍から見ているととても自然だ。
言葉とは気持ちを伝えるための道具の一つに過ぎないという事実を目の当たりにした。

ここから、私の世界は生まれ変わった。
いつの間にか忘れていた当たり前の事をたくさん思い出した。
そしてなぜ今ここにいるのかという事も。

確かに意地でいる部分もあるが、やっぱり根底には楽しそうだからとかワクワクしたいからとか、そういった気持ちがしっかりと存在していた。
とても嬉しかった。まだ私は旅行を楽しむことができる。

この後、彼女のおかげで素敵な人達と友達になる事も出来た。
私の世界を変えてくれた人。私に様々な出会いをもたらしてくれた人。

もしシェムリアップで順調な観光をしていたら。
もしバスが本当に直通だったら。
出会う事はなく、私の世界は変わらぬままだっただろう。

あれだけ望んでいた「if」が「if」で良かった。
どんな最悪な出来事でもきっと意味がある。
それを見つけることが出来るかどうかで、その人の幸福度も変わってくるだろう。
命の危機に陥ったことのない人間のたわ言かもしれないが、少なくとも今の私はそう考える。


終盤(フィリピンから帰国まで)


あれから、私の世界が乱れることはなかった。
しかしこの辺りを境に、人と会うという事が目的の中に含まれ始め、行動の核となってきた。
フィリピンで同じ学校に通った人はもちろん、日本の友達や別の国で仲良くなった人たちと会う為に予定を組んだりした。

そして念願のドブロブニクを満喫してからは、旅行に対する思いが熱を失いつつあった。
帰国という二文字が頭の中にちらつき始める。
もちろんそれ以降もたくさんのワクワクや新しい出会い、楽しい出来事もあった。
けれどそれらは結果としてであり、今までのような熱は確実に温度を下げていっていた。

なのでヨーロッパ諸国ではがむしゃらに観光するのではなく、美味しいものを食べるという小さな贅沢をした。
徐々に気持ちが帰国へと向かっていったのだ。

熱に突き動かされなくなったのは、帰国を意識しだしたからか。
あるいは動かされなくなったから、帰国を意識しだしたのか。
どちらが先なのか私にもわからない。
けれど熱の冷めた場所にあったのは間違いなく、寂しいという感情だった。

それを埋めるため色々な繋がりを求めた。
その場限りの繋がりでも、私はまだ海外にいるという実感を得たかった。
今まで以上にゲストハウスの共用スペースに居座り、今まで以上に話しかけた。
かと思えばなにもする気が起きず、一日中ベッドの中にこもる日もあった。

振り返って思うが、どうかしていたのかもしれない。
序盤の「世界で自分だけが独りぼっち」という感覚ではないが、
卒業式の予行演習を終えた放課後に感じた時のような感傷が際限なくこの身を包んでいた。

そしてトロントで最後の友達と会い、彼女が勧めてくれたラスベガスをこの旅行最後の場所とした。
ラスベガスは最後の場所にふさわしかった。

アンテロープキャニオンとグランドキャニオンという大自然に感動し、
シルクドソレイユは二回観に行くほど心を奪われた。
眠らない街たる所以のカジノでホテル代が浮いたと思ったら、次の日はその倍以上負けたりもした。

最後の場所だから残金を気にすることなく遊ぶことが出来た。
悔いが残らぬように。楽しかったと言って日本に帰れるように。
だから空港に向かうタクシーの中では充足感に満ちていた。

ラスベガスだけじゃない、すべての場所で私は幸せだった。
搭乗待合所で時間になるのを待っていると、遠くから朝日が昇り始めてくる。
海外で眺める最後の太陽。

その瞬間様々なものがこみ上げてきた。
見てきた風景、肌で触れた世界、出会った人達。
経験の全てが心の底から楽しかった。嘘じゃない。

だけれど終わりだ。
自分の手で幕を引いてしまった。

涙がこぼれる。
数秒前までは幸せな気持ちだったのに、今は切なくて悲しくて仕方ない。
そんな私に構うことなく昇り続け、世界を明るく照らす太陽に腹がたった。

持ちうる全ての感情が、身体の中で暴れる。
行き場をなくしたものが涙となり次々と溢れ出した。

声にならない叫びをあげた。
苦しくて逃げ出したくてたまらない。
今すぐ飛行機を変えて日本以外の場所に飛び立ちたかった。

もちろんそんなの出来るわけがない。
膝を抱え、組んだ腕に顔をうずめて、気持ちが落ち着くのをただひたすら待った。

たった十ヶ月でこれだなんてみっともない。
世界には年単位で旅をしている人だってたくさんいる。
そう自分に言い聞かせ、落ち着いたところで飛行機に乗り込んだ。

絞首台に向かう死刑囚のように。


最後に


日本に帰った今でも、油断すると目の奥が熱くなる。
それほど素敵な経験をさせてもらえた。
間違いなく自分の人生の中で一番楽しかった期間だ。

あと二週間もしないで、私は働き始める。
旅行と同じくらい大切な夢だった不動産業界で。

初めての業界、初めての民間、初めての対人。
この旅行のように、何もかもが初めての経験となるだろう。

あの時が人生のピークだった、なんてことにならないように、
今年も最高の一年にしたい。

まだ気持ちの整理はついていないけど、
荷物と一緒にゆっくり片づけていこう。
いつでもすぐに引っ張り出せるところに。

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