アンコール・トムと微笑みのバイヨン

2015/08/27

アジア カンボジア シェムリアップ

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アンコール・トム及びバイヨンとは


12世紀初頭に建てられたアンコール・ワットが宗教施設の遺跡なのに対し、
こちらアンコール・トムが建てられたのは12世紀末葉、そして城砦都市の遺跡だ。
もちろん城砦だけあって、その中にはバイヨン、プリア・ピトゥなどの宗教施設もある。

しかしどれがどれなのかイマイチわからないので、全部ひっくるめる。


宿からアンコール・ワット、そこからアンコール・トム、全部トゥクトゥクでの移動。
専属でついて15ドル。

他の人のブログを見ながら、自分の撮った写真と見比べたのだけど、
もしかしたらアンコール・トムの城砦部分はトゥクトゥクで全スルーしてた気がする。


 調べれば調べるほど謎の深まるバイヨン


12世紀末葉から上座仏教寺院として建て始め、途中からヒンドゥー教が混じった宗教施設という事には間違いなさそうだが、腑に落ちない。

12世紀初頭のアンコール・ワットはヒンドゥー教から仏教。
12世紀末葉のアンコール・トムは仏教からヒンドゥー教そして再びの仏教。


ヒンドゥー教に改宗するのなら理解できる。権力者にとって最高に都合が良いから。
しかしなぜそこから仏教へ変わるのか。
当時の王がよほど仏教を熱心に信仰していたとしか考えられない。

目の前の権力に続く道よりも、自分の信じる道を選ぶ権力者がいたのかなと思うと、クメール王朝のあったカンボジアを好きになる。


いろんな神様っぽい彫刻。
まだ私の知識では、これがどの宗教のものか判断つかないことが悔しい。

こうやって投稿用にいろいろ調べれば調べるほど、宗教の深さに驚くし興味を抱く。
自分でもこんなに調べるとは思ってもみなかった。
ただこれが何かの役に立つかというと、きっと何の役にも立たない。ただの雑学。

そこから一歩飛び出すことが出来れば、ちゃんとした知識として定着させることが出来れば、話は変わってくるのかもしれない。


大きな顔。観音菩薩だったり別の神様だったり当時の王様だったりと、諸説あるようだ。
偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒からしたらまじで考えられない所業だろう。
この辺り一帯は、偶像崇拝のかたまりなのだから。

それにしても頭部だけがこんなにも並んでいると不思議な感じがする。
塔内に入ることで、仏に包まれている気分になれたのだろうか。


この二つの写真は、バイヨンの敷地に入ってすぐ左側にある経蔵と呼ばれている場所から撮ったもの。
しかもその経蔵はJapanese Government Team for Safeguarding Angkor通称JASA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)によって修復されたものらしい。

日本と大きく関わりのある場所でまんまと子供の罠?にはまり、チップを請求された私はとても情けないなと思う。
カンボジアは嫌いではないけど、あのガキんちょは大嫌いだ。
だけど彼のおかげで世界には、子供だろうと油断できないのだと、タバコ一本の犠牲で知ることができた。その点においては感謝している。


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