シンガポールからマレーシアに移動し、触れた4つの優しさ

2015/08/06

アジア シンガポール マラッカ マレーシア

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シンガポールからマレーシア(マラッカ)へ

所要時間は約半日ほど。
感謝した回数は山ほど。
これについてはページの終わりに記述。


Queen Stを進みながらOphir Rdを振り返る


人生初の陸路国境越えは徒歩ではなくバス。
bugisという駅を降りて北西へまっすぐ。
Queen Stに当たったら右にまがり、Rochor Stを超えOphir Rdを超える。

まっすぐ道なりにいくとバスターミナルが見えてくるので、そこでチケットを購入。
シンガポールの北側からマレーシアのジョホールバルへ抜ける。
出入国審査を済ませ、降り立ったジョホールバル。
そこからバスでターミナルまで向かう。

こんなとこに着けば、あとはチケットを買うだけ。
今回はマラッカに向かうが、ほかにもクアラルンプール行きだったり、途中の場所と思われるいくつかの場所行きだったり、いろいろなチケットが売られていた。

マラッカ行きのバスへのる。バックパックはこのように座席に持ち込むことも可能だし、預けることも可能。


今思えば、下道も高速も乗り心地はとても良かった。


一時間に一回くらい、PA的な場所でトイレなどの休憩が挟まれる。
しかし、すべては運転手しだい。ないこともあるので、出発前は必ずするようにしたほうが吉。

いろいろな人の親切によってたどり着いた、TROKAという目的の宿。
オランダ広場を代表とする観光場所から非常に近く便利。
ホーカーズのような屋台村もそばにあり、遅いチェックインを済ませてからもおなか一杯に食べることが出来た。


さてタイトルの件だが、マラッカにはとにかく優しい人が多いという印象を受けた。
誰もかれも嫌な顔せず、親切にしてくれる。
今日一日でも、大きな感謝を四つもした。


1.インフォメーションセンターの人

長距離バスが発着するバスターミナルへの行き方を教えてくれたり、到着するであろうマラッカのバスターミナルから宿泊予定の宿までの地図をプリントアウトしてくれた。

2.コーヒー屋さん

コーヒーを頼んだときアイスと言うのを忘れていて、出されたホットコーヒーに氷を入れてくれと頼むと、わざわざ淹れなおしてくれた。

3.バスチケット屋さん

目的のバスがターミナルへ到着するとわざわざ探して言いに来てくれた。

4.マラッカの一般人

マラッカのバスターミナルから宿まで遠かったのだが、無償で送ってくれた。


今振り返ってもいい人たちばかりだったと思う。
特に4の一般人。

wifiを拾い、バスが出ていないか調べていると後ろから声をかけられた。
「やぁ」「こんばんは」
「どこから来た?」「日本」
「どこへ行く?」地図見せる。
「お金はいらないから乗って行け」「いいよ悪いから」
「悪くない、乗れ」「無理無理」
最初、詐欺や強盗の人らだと思っていたので頑なに拒み続けた。
お金いらないとか言いながら、莫大な額を請求されたり、
それだけならまだしも、まったくわけわからないところで降ろされて、荷物全部強奪されたり、そんな嫌な想像しか出来なかった。

しかし最終的に送ってもらうことにした。
こっちも二人だし、最悪何かあっても日本には帰れるかなとか、
もし一人だったら、まず乗らないだろうしいい経験かなとか、
いろいろな事を考えての結論だ。

そして結果、ただの親切すぎる人だった。
チェックインを済まし、荷物を部屋に置いた頃には、マレーシアという国とマラッカという地域が大好きになっていた。


マラッカの後は首都クアラルンプールに住む、友人の両親宅を訪れた。
彼らは、マレーシア内の風潮をこう言った。
「日本に追いつけ追い越せ。日本人のようになれ。」
とにかく日本リスペクト。

マラッカの彼らも私らが日本人と知り、親切にしてくれたのかもしれない。
だけど、それでも神様かというくらいの無償の愛を感じた。
それは私を彼らの立場に置き換えて想像した時、頑なに乗車を拒む外国人をわざわざ信用させてまで乗らすことはさせないと考えたからだ。

例えばどこか道中でタクシーを拾おうとするが捕まらない外国人がいたとする。
車に乗って走っていた私は、それを見つけ彼らの目の前に止め、乗っけていこうかと提案する。
それに対し彼らが拒み不信感をあらわにしたら、私はきっとこう言う。
「おっけー、良い一日が過ごせるといいね、バイバイ」
これで終わり。
わざわざ時間を割いてまで自分の事を信用させようとはしない。
なぜなら親切心そのものがきっと気まぐれだから。
素直に受け取ってもらえないのなら、それで終わり。

だけど彼らは違った。
素直に受け取らない私らに、何回も何回も大丈夫だ信用しろと言ってくれた。
私と彼らの違いは、親切心が気まぐれかどうかにあると思う。
そしてそれはマレーシアはどこいっても優しく親切な人が多かった事から、人格的なものではなく宗教からくるものなのだろう。

宗教は争いを生む一方で、このような人と人との繋がりさえも生んでいる。
実体験以外のすべてには根拠がなく想像にすぎないが、そう思った。

宗教がなくても、同じことができるかな。
いいや、同じことをしよう。

特別に信仰する宗教はないが、どこかの神に誓う。


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