アユタヤと上座仏教について

2015/08/19

アジア アユタヤ タイ

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世界遺産、古都アユタヤと周辺の古代遺跡群

この遺跡らは1351年から1767年にかけて存在した、アユタヤ王朝によって作られた。
その地は中国やインド、ヨーロッパ等を結ぶ中間という利があり、独占的な貿易で莫大な利益を収めた。それを元に、上座仏教を信仰していた当時の王がいくつもの寺院を作ったのだった。
しかしそのほとんどはビルマ(現ミャンマー)の攻撃を受け、破壊されつくす。対象は寺院に限らず、王宮も仏像も、そして王朝でさえも。
その後再興することなく、トンブリーへ遷都した。

アユタヤの立地

川に囲まれていることが地図を見れば一目でわかるがこれは、敵に備え自ら運河を掘ったことによるものだ。そしてそれぞれの川沿いには大小多数の寺院が存在している。



上座仏教とは

仏教を二つに大別したうちの一つ。もう片方は日本でも馴染みのある大乗仏教。
何が違うのか。それは仏教が二つに大別される前までさかのぼる。

宗教というのは広がっていくもの。
宗教が広がるという事は、戒律に沿った暮らしをする人が増えるという事。
しかし戒律というのは、それが生まれた場所にもっとも適しているルール。
例えば、寒い国で生まれた宗教の戒律に暑いときどうすればいいかなんて書いていないし、犬のいない国では犬の扱いどころか犬の存在にすら触れていない。

同様に、仏教が広がってしまったがゆえに、戒律を守ることが困難となってしまう地域も出てきた。
釈迦自体は、重要でない戒律は僧の同意によって改める事を許していたが、どれが重要なのかそうでないか等解釈について僧の間でも意見が割れ「戒律遵守派」と「戒律修正派」に分かれた。


「上座仏教」とは当時の「戒律遵守派」にあたる。
戒律遵守、つまり釈迦のこういった教えを忠実に守る。
・限りない輪廻を繰り返す生は苦しみ
・苦しみの原因は無名(「四諦」に対する無知)によって生じる執着
・無名を絶ち輪廻から解脱するには「戒律の遵守」「瞑想による八正道の実践」

四諦とは

釈迦が説いた、悟りに至る為の四つの真理。

・苦諦
この世は人間にとって苦に溢れている。仏陀の人生観の根本であると同時に、人間の持つ必然的な姿とされている。

・集諦
苦には原因があるという事。耳にする機会が比較的少なくない「煩悩」は苦が表れるもととされている。

・滅諦
苦は滅することができるという真理。

・道諦
苦を滅する方法、修行があるという真理。これこそ解脱の道。



八正道とは

悟りの境地へ至るための、八つの徳。正見以外の七つはすべて正見に収まる。

・正見
四諦の真理を正しく知る事

・正思惟
正しく考え判断し、俗世間において渇望するもの(五感による快楽、富や名声等)の否定

・正語
嘘妄言、無駄話、仲違いさせる言葉、悪口らの禁止

・正業
殺生、盗み、性的暴行らの禁止

・正命
正当ななりわいをもって、人として恥ずかしくない生活を規律正しく営む事

・正精進
過去の不善を断じ善を増長し、未来の不善を生まず全を生むための努力

・正念
四念処(不浄感、一切皆苦、諸行無常、諸法無我)を意識しつつ現在の内外の状況に気付いた状態でいる事

・正定
正しい集中力を完成する事


以上のようにとてもじゃないが一生を掛けても解脱することは難しい。
だけど自分が解脱しなければ人々を導くことが出来ない。
そうやって日々修行に励む僧を横目に、まずは教えを広めよう。
戒律に縛られるのではなく、大事なのは信仰する心だ。
と大衆向けになったのが「大乗仏教」である。

調べると「大乗仏教」が他の幸せの為、
「上座仏教」が自分の幸せの為、としているところが散見される。
素人目にはこの意見に賛成できない。
「大乗仏教」は「上座仏教」を見下している。ゆえに「上座」などと呼ばないで「小乗仏教」という蔑称を作った。だから上座仏教は自分の為などという意見は、大乗仏教の人が見下している立場からの意見にしか思えない。


まるで「一般人」と「オタク」の構図だ。
例えば電車に乗るのが好きな一般人と鉄道オタク。
一般人は楽しいという経験を誰かと共有する。オタクは音がどうの振動がどうの電車の歴史がどうのと自分の中で完結する詳しい知識を備えている。

本当に電車を理解しているのはオタク。だけど大衆に浸透しているのは一般人のような振る舞い。そんな一般人はオタクを「きもい」と片付ける。

大乗仏教も上座仏教も、もしかしたらそんな違いがあったのかもしれないなと思う。
大乗「あいつめっちゃ修行していてキモイ」
上座「お釈迦様の言葉の意味さえ知らず極楽浄土行けるわけない」

上座仏教が浸透している国では、お坊さんたちは尊敬の対象となっている。電車や船には、お坊さんが優先的に座れるようになっている事や、托鉢という文化が残っていることからもそれは実感できた。


ビルマがアユタヤの仏像などを破壊した三つの理由


そんな文化を持つビルマがなぜ同じ文化を持つ、アユタヤ王朝の形に見える宗教を破壊できたのか。
ここは調べても出てこないため憶測になるが、三つの理由があると考える。

・ビルマにとっても神聖な仏像の頭を持って帰ることで罪悪感から逃れる為。
・彼らのアイディンティと言っても過言ではないそれらを破壊することで絶望感を与え抵抗する力を弱らせる為。
・漆喰の中のエメラルド仏のように、像の中に金などが隠れていないか確認する為。


結局答えなど出ないが一つだけ確かなことがある。
像の頭がなくなってから王朝は再興しなかったという事実だ。

そんな歴史がこの風景を重厚なものにしている。
アユタヤの観光の目玉が、アユタヤが滅んだ時の傷跡。
ヒロシマの観光の目玉が、ヒロシマを壊滅させた原爆の爆心地。

滅びの跡地は、人を惹きつけるのだろう。

まわった場所の紹介は次の記事


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